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 台網類の起源は足利時代末期に誕生し徳川時代の末期に一応の形が整ったとの説がある。諸説存在するなかで以下の三系統の系譜が一般的であるとされている。

 余談であるが宮本秀明著書の定置網漁論には我々の出身地である岩手県釜石市の両石湾で萬治の頃(徳川初期1659年頃)に大謀網が行われていたとされる説が紹介されている。しかしながら明治29年の大津波、昭和8年の三陸大津波、昭和35年のチリ地震津波で我村落は3度の壊滅的被害に会い一切の文献や資料は存在しない。現在では口碑の外これを明らかにする事はできない。

参考文献―定置網漁論 宮本秀明

上記の写真は昭和25年頃の漁の様子です
そして今現在の漁業の様子です
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  大敷網は定置網類中で最も古くできたものとされております。明治末期から大正時代には沿岸各地に 敷設され沿岸漁業の一翼を担いました。大規模なものはクジラからイワシまで漁獲し百人を超える乗組員によって操業された。イワシ大敷網は冨山湾以西に多く、富山、石川の台網や九州、四国、熊野方面の大敷網、静岡や神奈川の根拵網はブリやマグロを主目的とした同型の大敷網類であった。ほかには京都、福井のサバ大敷網、福岡、長崎のアジ大敷網などたくさんの大敷網が存在したが日本海側では新潟以南、太平洋側では神奈川以南に多く、西日本での定置網型であったと思われる。

 大謀網類は、東北地方の建網、各種の角網、和歌山地方の八角網などがある。中でも大規模なものはブリやマグロを捕らえる目的のものが多い。東北地方の大網は安政年間まで行なわれた安政古式型、それが改良された田代型マグロ大網、岩手県秋網型の三種類があった。後に代表的な大謀網となったのは宮城式大謀網(建網)、日高式大謀網、上野式大謀網(越中式大謀網)の三種類である。この大謀網は大敷網に変わって普及した定置網であるので、規模も漁獲対象もほとんど変わりはない。日高式大謀網は宮城県下のマグロ大網を参考に改良し、上野式大謀網は台網から改良されたものである。またブリを目的とする冬網が隆盛になったのは明治23年宮崎県の日高栄三郎氏とその父亀市氏の両氏が従来使用されていた大敷網のワラ網を麻の細目の糸網に替えてからであったという。

 大敷網や台網の最盛期は江戸中期以降から明治末期までであった。それらはその単純な形状から魚は非常に入りやすいが反面非常に出やすい欠点があった。魚見櫓を備え魚群の入網が確認されれば直ちに操業する努力を行なっていたが、やがて回遊魚の減少や敷設漁場の増加により、人手にたよる非効率な方法はすたれていった。時を同じくして明治39年宮崎県の日高式大謀網、明治42年富山県の上野式大謀網が出現し、格段に高性能であり従来の大敷網や台網に取って代わる存在となった。これらは現在の定置網の基となった落し網が大正末期に出現するまで君臨した。

 

 落し網は技術的に最も進歩した定置網で現在最も多く採用されている。落し網の起源は富山湾に始まって全国に伝わった瓢網類と、東北地方に始まった器械網の2系統である。日本海においては明治26年若狭湾のタラ、フグの締網、明治30年新潟県の瓢網は台網の口に漏斗状の返しが取り付けてあった。宮城、岩手を中心に広がった器械網は明治20年仙台湾のえり網から改良され主にサケを取ったとされる。ブリ、マグロの落し網はわずかな期間に大謀網に代わって全国的に普及した。